ココロに決めたこと
そんな風にいきなり僕たちはつき合い始めた。Meguはほんとにいそ
がしく毎日を過ごしていた。僕は彼女のペースにしだいに巻き込まれて
いくことになる。
僕は三十歳でまだプロダクトデザイナーとして駆け出しだった。日用
品などのどこにでもある製品を主にデザインしていた。その大半は百円
ショップに並んでいる。そりゃ本当は僕だって有名デザイナーのように
携帯電話や、オーディオ機器、パソコンやカメラなどのデジタル家電を
デザインしたい。しかし現実はそう甘くはないし、僕のようなデザイナ
ーはごまんと存在している。突出した何かがなければこの世界では成功
できないだろう。
家と事務所が渋谷にあったので、アイデアに困ると街へ出て、ショッ
プをぐるぐる見て回りながら少ない知恵を絞りだしていた。
流行がコロコロ変わり新しいものがすぐ古くなる街。くだらない刺激
だけはふんだんにあるくせにたいして中身などない。見栄と偏見のふき
だまりだなここは。
それでも勉強にはなる。ものがあふれてるからね。
消費されていく流行、ポップ。休むことなく続いている。そんな街の
なかで僕が一つだけこころがけていることが流されないことだ。
渋谷という街はちょっと気を許すとすぐに流されてしまう危険をはら
んでいる。少年少女たちは流されっぱなしに見えてしかたがない。流れ
の中でいつか埋没していってやがて忘れ去られる。それが怖い。
僕はできるだけ人とのつきあいを大切にしたいと考えている。仕事で
もプライベートでも、もちろん家族でも。だからMeguとのつきあいも
本当に大切にしたいと思っていた。Meguはどう思ってるかまだ知らな
いけど。
ある休みの日曜日、代々木公園へ行こうということになって、午後か
らお弁当持参で出かけた。初秋にしては肌寒い気温だったが素晴らしい
秋晴れの天気だった。
「あれ、今日はいつものキャップかぶってないんだ」
「ああ、あれ、無くしたんだ、電車の中か、タクシーの中で」
「もうしょうがないなあKohは」
「だから最近はこればっか」
少し大きめのニットのキャスケットをかぶりなおしながらMeguの顔
をのぞきこんだ。
「Megu、ちょっと疲れてない?」
「ううん、ぜんぜん平気。寝不足気味かな。」
「だめだな、ちゃんと睡眠とらないと。とか言って俺も全然寝れない
日が続いてた。うまくデザインが仕上がらなくてイライラしてたんだ」
「よし、今日はランチしたらお昼寝しようよ!」
「それいいな、決定!」
代々木公園は都心にありながら広大な土地にたくさんの緑がある癒し
スポットだ。芝生が比較的きれいな場所をさがして僕たちは腰をおろし
た。
太陽の日差しがまぶしく木々の緑が光をさえぎるように風にゆらいで
いる。Meguのお手製弁当をひろげて遅めのランチを食べる。
「この卵焼きうまいな。塩加減が絶妙だね」
「あんまりほめてもなんにもでないからね」
「ほんとだってば。まずかったらまずいっていうよ。親にだって意見
するよ、俺は」
「おーこわい。ヘタなもの作れないね、Kohの前では」
「ありがたくいただいてます」
Meguの微笑みとおいしい手料理に僕は心底幸せを感じていた。Megu
の笑顔をみるのがなによりうれしいのだ。
やがておなかがいっぱいになってゴロンと寝転んだ。
「あー気持ちいい、最高だね。天気もいいしおなかもいっぱいになっ
たし」
「すぐ寝ると牛になっちゃうよ」
「はは。そんな人今まで一度も見たことないよ」
「私はある」
「うっそだー、あるわけないよ」
「あるよー、・・・お父さん」
「えっ?」
風がここちよく吹いていたのでしらない間に眠ってしまっていた。
Meguも横になっていた。そっと顔をのぞきこむとすやすやと吐息をた
てて眠っている。ふと気がついて左手を見るとMeguの右手が僕の手を握
りしめていた。白くてちっちゃなMeguの右手。僕は持ってきていた厚手
のストールをそっとMeguの肩にかけてあげた。Meguの寝顔を見ながら
僕はココロにある決意をしていた。
いつまでも一緒にいたい。Meguとならどこへでもいけるし、どんなこ
とでも乗り越えられそうな気がする。
そしてまた横になってしばらく眠ってしまった。
Meguは一人でなんでもやってしまう行動派だ。ベビーシッターの仕事
も誰のつてでもなく自分で開拓してお客さんを増やしていった。
最初の頃はなかなかうまくいかなかったらしいが口コミが徐徐にひろが
って小さなコミュニティができそれが後に大きな輪となって現在に至るま
でになった。やはりインターネットの功績が大きい。彼女のブログから情
報が発信されて、多くの子を持つ母親に共感を得ていったようだ。
しかし一人で切り盛りするのがとうとう限界になってきて、それだった
ら他のベビーシッターさんにも仕事を手伝ってもらおうということになっ
た。そこで思いついたのがポータルサイトの運営だ。
自分は裏方にまわって、仕事を必要とするベビーシッターさんに登録し
てもらいベビーシッターさんを必要とする親に紹介する。後は双方の面談
でお互いが納得した形で契約してもらうというながれだ。
僕はデザインをやっていることもあってMeguにサイトのデザインを頼
まれたがなかなか時間をとれなくて協力できないでいた。そのうちしびれ
をきらしてやはりそれも自分で作ってしまった。さすがだ。尊敬するよ。
ポータルサイトの名前のロゴにずいぶん悩んでいたみたいだったけど、
それもうまくいったみたいだ。サイト名は「imama.jp」。
Meguの保育にかける情熱はひしひしと伝わってきた。そしてなにより
子供が大好きなところも。子供を見るときのMeguの瞳は誰よりもやさし
くおだやかだ。
そんなMeguが僕はうらやましかった。中途半端な仕事しかできず、理
想だけは高くて努力していない自分が情けなくなった。俺はどうしたいん
だ。なにかひとつでもいいから突破したい。自問自答する日々がつづいて
いた。
こんなことをMeguは言ったことがある。
「私ね、小さいときよく怪我をしてたの。自転車の車輪に足をひっかけ
たり、あめ玉をのどにつまらせたり転んですりむくなんてしょっちゅう。
そんなときいつも母はやさしく介抱してくれて泣いている私をなぐさめて
くれた。母の深い愛情につつまれて育った今の私がいるの。感謝している
わ。だから子供にはたくさんの愛情をうけて育ってほしいの。その手助け
をベビーシッターという形でしてるのかな」
確かに子供の頃に親の愛情をいっぱい受けて育った人に悪い人はいない
ような気がする。例外もあるけど。逆にそうでない人は自分が親になった
とき、子供にたいして愛情をそそいでいるのか疑問だ。虐待の問題を語る
ときに必ず子供時代の話がでてくるように。
僕は普通に育てられて成長したと思っていたけど親が子供を育てるのは
大変なんだなとMeguの仕事に接するようになってわかってきた。生まれ
てからすぐ自立できない子供は親に頼って生きなければいけない。あたり
まえのことだがあたりまえすぎて親への感謝をわすれがちになる。今まで
誰に育てられてきたのか、誰のおかげで学校へ行き、社会人として自立で
きたのか。
「私も母のような女性になりたい」と言ったMeguのコトバがココロに
残っている。
0 件のコメント:
コメントを投稿